はばねろの日記

激辛というより、映画とか本とか旅行とか

浪々の身 3 結局おじさんにはなるけれど

中島らもが昔から好きです。多分大学2年生から。

全作品読んだなんて事は無いのですが、最初に読んだのは『今夜すべてのバーで』だったように思う。そのまま、いくつかのエッセイを読んで、心に残るいくつかの言葉があって、数年が経っている。

 

Twitterでたまにそんな事を書いていたら、ある日同じ大学の演劇サークルの女の子からメッセージが来た。詳細は覚えていないけれど、中島らもが好きそうなので良かったら自伝映画のチケットいりませんか、といったものである。二つ返事で待ち合わせの日時を決めてチケットを受け取った。

ちなみにそれまで話をしたことは無いし、その後も無い。

 

観た映画の事は実はあまり記憶にないのだけれど、『らもトリップ』という作品だった。今はなき、吉祥寺バウスシアター。ザバンドの『ラストワルツ』もここで爆音上映で観た記憶がある。

 

それから数年が経ち、ふと読み直す事が増えた。毎日のようにエッセイを読むなかで、とにかく好きな一篇がある。浪々の身3 というタイトルの短いエッセイで、2頁しかない。浪人時代の友人が自殺をしてしまったという話。18歳の時のこと。振り返ってらもが言う。

 

あれから一八年が過ぎて、僕たちはちょうど彼が亡くなった歳の倍の年月を生きたことになる。かつてのロック少年たちも今では、喫茶店のおしぼりで耳の穴をふいたりするようにな「おっさん」になった。そうした軌跡は、かっこうの悪いこと、みっともないことの連続で、それに比べて一八で死んでしまった彼のイメージは、いつまでも一八のすがすがしい少年のままである。自分だけすっぽり夭折するとはずるいやつだ、と僕は思う。薄汚れたこの世界に住み暮らして、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。

 

ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思うような夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きいける。だから「あいつも生きていりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。

 

中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』浪々の身 3

 

『今夜すべてのバーで』にも同じようなセリフが出てくるのだが、これは中島らもの中に通底している人生の捉え方なんだと思う。その割に本人は階段から落ちてあっけなく死んでしまっているのだけど。その辺りのエピソードも奥さんの手記を読んで泣いてしまった。

 

さて、実際にそんな日がこれまであったのかと胸に手をあてて考えても意外と分からないものである。振り返って、何年かして初めて気が付くものかもしれない。

 

少なくとも、これまで生きてきて、心の底から楽しい時はあったし、本当に心が通ったなって事も幾度かある。くだらない毎日を送りながら、その想い出を食い潰して生きていくのだってそんな悪くない気がする。

最近は会社で「俺の若い頃はな‥」って話も、その人にとってのそんな日なんだろうとも思える。

 

とにかく、毎日酒を飲んで笑って、帰り道には虚しくなって、たまに失敗したりして、なんだか行く末がとても明るく見えるような多幸感に満ちた日もあって、気が付いたらただのおじさんになるんだろうけど、この一篇はいつだって、誰にでもそんな特別な日がある事を信じさせてくれる。

 

その日の天使、という話も大好きなのだけど、それはまた別の機会に。